(画像は生田神社の蓮です)
こんにちは♪
あなただけに託された唯一無二の感性を花開き、「自分が自分に生まれてよかった」を体験するピアノ教室&アレクサンダーテクニック講師のリョウコです。
今日は短めの記事をひとつ。
「生き物」を創造する圧倒的な力を、私たちは持っている
さて、あなたは、ご自身、またはお子さん、ご家族、ご友人、すべての人の命がどのようにこの地球に生まれてきたかを、考えたことはありますか?
私たちを「生き物」として創造することのできる、不思議な神秘の力のことです。
宇宙の成り立ちには諸説あり、今のところ、ビックバン説が有力かと思いますが、私たちの命も宇宙のビックバンのように、ものすごい力が働いて、奇跡的に産まれたものですね。
さて、みなさんは、
そんなすごい力が働いて産まれた命の中には、得体の知れないすごい力、神秘の力が内包されている
のは、ある意味、当たり前だと思いませんか?
私たちの中に、宇宙のビックバンを起こしたものと同じだけの、圧倒的な力が、もうすでにある。その力が私たちの中で、今も働いているからこそ、私たちは生きている。
常識の枠に、自らを閉じ込めていく私たち
でも、その圧倒的で創造的な力が、赤ん坊から幼児になって、大きくなっていくうちに、だんだんと小さくなっていってしまいます。
常識が私たちに求めるもの、つまり、外側から求められるものが、(学校で良い点数、成績を取って、良い大学に行って、良い就職先に勤める」などが典型ですね。)私たちの生活を占めるようになり、「世間一般に善しとされているものを達成すること」が人生の目標になっていくからだと私は思っています。
つまり、ビックバンと同じだけの熱量、創造性を持っているにもかかわらず、常識の枠に合わせて、私たちは自らを、小さくしていっているのです。
「間違わないように」という指導がもたらす弊害
さて、私のピアノ教室では、
「音楽的に弾きましょう」とか、「間違わずに弾きましょう」とは、決して言いません。
その代わりに、
「たくさん間違えていいんだよ、間違いなんて気にしなくていいんだよ。」
と、言います。
なぜなら、弾いていたらそのうち、間違えずに弾けるようになるから(笑)
という理由もありますが、
「間違わずに弾くこと」が目標になってしまったら、心がキュッと硬くなって、それが筋肉の強張りという形で現れるからです。
そうなってしまったら、音楽との一体感は得られません。
つまり、その精神状態では、音楽的に弾くことなんて、ましてや楽しむこともできません。
あなたが感じていることを大切にしよう
私のレッスンでは、
「あなたの中で何を感じているの?」ということを一番大切にしています。
別の言い方をすると、生徒さんたちの「内側から溢れ出てくるもの」を、とても大切にしているのです。
それこそが、芸術表現であり、生まれた時からもうすでに持っている、ビックバンのような圧倒的な創造性だと私は思います。
そこと繋がって、たくさんの素敵な音楽を、「好きだな、楽しいな」と思いながら、歌ったり弾いてみたり、即興で遊んだり。
少しくらいの間違いなんか気にしない。
「間違わない」ということは、あなたが持って生まれた可能性をめいっぱいに花開かせ、幸せな人生を歩んでいくうえで、重要ではない。
あなたも私も、世間一般が求める常識「以上」の存在です。
唯一無二のあなただけの感性を味わい尽くし、花開いていきませんか?
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