あなたは
「自分には何かが足りなくて、それを補うために、外部から何かを付け足さなければならない、
なりたい自分、完璧になるために、私は何かを積み上げなければならない」
と、思っていませんか?
それとも、
「本来の私はとても自由で、ありのままで生き生きとしている。
でもその輝きを遮っているもの、邪魔をしているものがある。それを取り払えば、伸び伸びと生きていける」
と思いますか?
私の教えるアレクサンダーテクニックは、
「体の要らない緊張」や「考え方の癖」をそぎ落としていくことで、「持って生まれた完璧さ」を発現させてくれるテクニックです。
この「持って生まれた完璧さ」を体験すると、
自分が「ありのままで、そのままで満たされている」ということが実感でき、
私たちは本来、この充足感の中で生活し、身体的にも精神的にも、成長していくことができるのだと、経験されることと思います。
アレクサンダーテクニックって、なあに?
19世紀の終わり、1869年にオーストラリアで生まれ、舞台俳優だったフレデリック・マティアス・アレクサンダーは、舞台上で声がでなくなるという問題を抱えていました。
そこで医者に診てもらったところ、「声の使い過ぎだ。次の公演まで声を使わないように」と忠告を受け、それに従い2週間、一言も声を出さずに、次の舞台に臨みました。
ところが、始めはちゃんと声が出たものの、演技の前半も終わらないうちに、声がしゃがれ、枯れてしまい、また出なくなりました。
「医者は頼りにならないので、自分で原因を突き止める」と、彼は言って、
自分の周りに姿見の鏡を3枚置いて、声を出そうとする瞬間の自分の体を観察し続けました。
そこでまず、彼が発見したことは、私たちの体には、
持って生まれた体の機能を最大限に発揮させ、より安定した動きやすい動作ができるための、
体の「方向性」が、備わっているということでした。
私たちの背骨は普段、委縮して短くなっていますが、緊張を解放することによってその背骨が、元の長さに戻れるようになり、それとともに背中が機能し始めます。
中心が整うと、それが手足などの末端へ伝わり、体全体が本来の機能を取り戻すようになります。
それは、私たちの体が一番うまく機能するように働くので、体感としては、
「体が軽い、動きやすい、気持ちが良い、しなやかで安定感のある動き」として感じられます。
レッスンでは、何をするの?
アレクサンダーテクニックレッスンでは、教師の手や言葉の誘導を聞き、生徒は「何もしない」ということを自身に働きかけ、
教師は、手と言葉を使って、生徒の体の中で眠っている「方向性」を活性化させます。
実際には、
- 短い距離を歩く
- マッサージテーブルに寝て、緊張を解放し、体の方向性が目覚めやすい状態にする
- 椅子を使って、「座る、立つ」の動作
などを通して、学びます。
アレクサンダーテクニックの効果
その結果、生徒は、
- 足の裏が地面にしっかりと着き、大地と繋がっているような状態
- 背骨が元の長さを取り戻し、首が解放され、頭が上へと伸びていき、体が軽いと感じる。
- 背中にはスペース(空間)があり、自分の体の中にいることが心地よく、安定していて安心感を得る。
- 体の中にある中心から末端へ脈のように起きている、「方向性」を活性化することにより、体は軽く、動きはスムーズで疲れにくくなる。
- 精神的な動揺や困難な局面にも、感情的に流されずに対処できるようになる
などを体験します。
アレクサンダーテクニックで体験すること「ありのままで、すでに満たされている状態」
私たちは
「体が痛い、重い」「体が思うように動かない」原因を、
「筋肉が足りないから」「姿勢が悪いから」「私の何かが足りないから」
などと思って、うまくいかない局所に集中し、それを力で矯正したり、外部からマッサージをすることで、完璧になろうとします。
しかし、私たちの体と、考え方において、
「何もしない」「必要のないことを、しない」ことによって、
私たちが持って生まれた本来の機能が目覚め、より適切で、楽に、気持ちよく、それでもって力強く持久力のある状態で、自分を使っていくことができるようになります。
そしてアレクサンダーテクニックを体験すると、私たちは、
「そのままでありのままで、素晴らしい状態をもうすでに持っている」と体験することができるのです。
レッスンを重ねるごとに、元々持って生まれた、最も良い状態を思い出すことができ、それを体が覚えていくので、生活の場面でそれを思い出せるようになり、使えるようになっていきます。
レッスンを通して「ありのままで完璧である」ということに気付き、体験していくのです。
人が本当に「変容」するとき
このテクニックを17年間学んできて、10年教えてきた私に言えることは、
「人は今まで経験したことのなかった新しい感覚を体験して初めて、真に変容する」ということです。
疲れているとき、体が重いとき、
「もっとリラックスしたら?」「体の力を抜いてみたら?」
と、言われたことはありませんか?
「リラックスする」「体の力を抜く」
よく使われていて、私たちも分かったように使う言葉ですが、私たちは、「リラックスする、体の力を抜く」とは、どんなことなのか、どのようにするのか、理解しているでしょうか?
アレクサンダーテクニックのレッスンを経験すると、「リラックスする」「体の力を抜く」ということがどのような状態なのか、体験することができます。
これは、今まで食べたことのない料理の味を想像することができないのと同じで、実際に体験するまでは、分からないものです。
そして実際に、体の軽さ、背骨の伸び、背中が活性化することによって起こる安定感を体験すると、以前には戻れなくなります。
なぜなら、動物の一種として生まれた人間なら、備わっているはずの体の「方向性」が活性化されるので、それと共にあることが、最も自然で気持ち良いものであり、本来、私たちはそうあるべきなのだと、直感で理解するからでしょう。
レッスンを受けるにことによって、その「方向性」を遮る、「体と心の緊張」こそが、私たちに本当の能力を発揮できなくさせていることに気付かれることと思います。
あなたは、「私には何かが足りなくて、完璧になるために、<自分ではない何か>を付け加えなければならない、そのために私は努力する」
と考えますか?
それとも、
「<生き生き、伸び伸びしている本来の自分>が息を吹き返すことができるように、本当の自分に蓋をしないで、自分を育てていきたい」
と思われますか?
私は25歳の時にアレクサンダーテクニックに出会うまで、前者のように考えていましたが、テクニックを学び、目の前の問題が、壁を破るように消えていくのを目の当たりにして、後者のように考えるようになりました。
そして、「本当の自分と共にあることが、<私が私に生まれてよかった>という<自分に生まれた喜び>を体験することである」と、今は思っています。