みなさん、こんにちは!
私達一人一人に与えられた唯一無二の感性を解き放ち、「自分が自分に産まれて良かった」を体験するピアノ&アレクサンダーテクニック教室の井筒良子です。
まずお知らせです♪
ただ今、春の入会キャンペーンを行っています。
(3月~4月末まで、4月中にレッスンを始められる方のみ対象)
お一人で入会される場合、入会金2000円、
兄弟姉妹、ご家族の方で同時に入会される場合は2人目から入会金無料です。
ドイツの友人との会話から思ったこと
さて先日、数十年来の仲良しのドイツ人の友達と、オンラインで話をしました♪
彼女とは10歳くらい年が違いますが、私のロンドン時代の恩師のマスタークラスに参加していたピアニストで、いつも「涙なしには彼女の演奏は聞けない」というほど、楽曲への深い洞察力と愛に満ちた演奏をする、素晴らしい音楽家です。
最近は、難病にかかってしまい、、、ピアノを弾くこともできない生活になっていますが、、、どうにか元気を取り戻してほしいと、1か月に2回ほどオンラインで話すようになっています。
彼女とは、出会ってからも1年に1度会えるかどうかの付き合いでしたが、その間、本当に離れていたんだろうかと思えるほど、会わなかった時間をすぐに取り戻し、いつも楽しくて、マスタークラスの合間のランチもずっと一緒、クラスが終われば、一緒にコンサートへ行ったりと、時を忘れて過ごしました。
音楽への姿勢だけでなく、人生においての考え方、感じ方、取り組んでいること、向き合っている困難に、いつも感化され励まされ、共感しあってきた大切な友人であり、同志です。
さて、そんな彼女との先日の話題は、彼女が病気になってしまう前に教えに行っていた学校だったのですが
「イギリスもそうだったけれど、さすがだな、ドイツ!!」
と思ったので、今日はこのことを書きたいと思います。
楽器の個人レッスンを学校の授業時間内で受けられる教育制度
彼女が最近まで勤めていた学校は、そこまで偏差値の高くない(はっきり言えば、低い)生徒がほとんどの普通の公立中学校。
そこでは、生徒によるスクールオーケストラが編成されていて、普通の学科科目も勉強しつつ、希望者は音楽のレッスン(器楽)を受けることができます。
そして、年度末には学校の講堂でコンサートがあり、生徒一人一人のソロ演奏、そして生徒達のオーケストラによる演奏があるそうです。
そしてなんと、講師陣の一人の先生が、毎年新しい作品を作曲して、その曲をみんなで演奏するそうです。
なんて素敵なんでしょう!!!!
彼女いわく、限られた時間で最後の演奏会のソロ演奏ができるように、そしてオーケストラパートを弾けるように指導することが大変だったそうですが、演奏会はいつも、生徒と指導者たちの活気と達成感で溢れ、素晴らしい時間だったそうです。
資金はすべて国が支払う
しかも驚くことに!!
家に楽器のない子ども達は、学校側からの貸し出しがあるのです!!
そして、指導に当たる音楽家を雇う資金もすべて、政府から出ているということでした。
何しろ、ここは公立の学校ですからね、私立ではありません。
日本でも私立なら、そういう取り組みをしている学校もあるとは思いますが、ドイツでは、普通の公立校(偏差値に関係なく)が、音楽や美術に特化したり、スポーツに特化すると決めることができるそうです。そしてそこに、政府がちゃんと資金を出してくれる。
芸術活動が、子ども達の成長に必要不可欠だと認識されており、専門家が指導に当たる
そして私が暮らしていたイギリスもその形態をとっていました。
学校で学ぶ、算数、国語、理科、社会、体育などの科目に加え、生徒が様々な楽器(声楽、ピアノ、バイオリン、ヴィオラ、チェロ、ダブルベース、クラリネット、トランペット等)の個人レッスンを学校の時間内で毎週受けることができます。
ですので、私たちのような個人の音楽家も、個人的に教える以外に、学校での仕事もありました。
彼女と話していて思ったことは、ドイツでも、音楽や美術などの芸術活動が、子ども達の成長に必要不可欠だと認識されているということ。
私の友人が教えていた学校は偏差値が低かったり、集中することができない生徒が多かったので、学校側が「普通科目以外の学びをもっと取り入れよう」ということで、音楽に特化することが決まって、今の形になったそうです。
日本のように、「授業で音楽や美術の時間がある」というレベルではなく、
生徒一人一人が専門家と深く関わる個人指導が、毎週、学校で受けられるのです。
芸術活動が必須科目であるヨーロッパの教育制度:イギリスは演劇(ドラマ)
さて、イギリスでは、必修科目の中に「ドラマ(演劇)」という授業が小学校、場合によっては幼稚園から始まります。
子ども達は、ゲームのような感覚で、自分の気持ちを表現すること、相手の表情や声から、気持ちを読み取ることを促され、友達とコミュニケーションを取りながら、自分を表現することを学びます。
普通科目にはない「演劇」の授業が到達可能にする、子どもたちの学び
「ドラマ」の授業において、正解不正解は存在せず、ましてや、演技力などは全く求められていません。
生徒の一人一人が、役を通して、自分を含んだ様々な感情と向き合い、クラスメイトと共に一つの舞台を作り上げるいうチームワークも学んでいきます。
そうすることによって、普通科目を学んでいても到達することのない、
人間として、最も深い感情の部分に繋がることを、幼少期から学ぶ
のです。
自身の感情と繋がり、それを表現することは、人間としての真の成長を遂げるための基本であり、他の学びにおいてはすべての土台であること。
「ドラマ(演劇)」の授業が他の学科の学びを後押ししていると言っても良いでしょう。
創造的(想像的)活動をないがしろにして、自分との繋がりを失わせていく日本の教育
さて日本はどうでしょうか?
そういう活動として思い付くのは、放課後のクラブ活動くらいだと思います。
しかし私の住む神戸市では、様々な理由からそのクラブ活動の廃止も決まっています。
先日、そんな話を彼女としていて、
「日本では、公立の学校ではあり得ない話だよ。
私立ならあるかもしれないけれど、そのような学校に入るためには、専門の塾に行かなければならないし、まず、授業料が払える裕福な家庭でなければならない」
と言ったら、
「えー!!日本がそんなはずないでしょう?だってあんなに発展した国なのに!」
と言っていましたが、、みなさんはどう思われるでしょうか。
何度も言うように、私立の学校や、習い事としては日本でもあり得る活動だとは思いますが、イギリス、ドイツでは、政府がそれを義務教育の一環に入れているのです(詳しく調べられていませんが、ヨーロッパのほとんどの国がそのような形態だと聞いたことがあります)。
裕福な家庭や、意識の高い両親の元に生まれなくても、政府が、国の未来の財産となる子ども達にとって、人間として成長していくうえで必要不可欠なもの、それが音楽や演劇、美術、芸術活動だと認めているから、子どもたちの教育に率先して取り入れているのです。
自分、そして自分を越えたナニモノカに繋がる道を与えてくれる芸術活動
芸術表現とは究極的に言うと、魂の表現です。
自分の中にある深い感情を呼び覚まし、それと自分を繋げてくれるもの
そこをさらに進めば、「自分」という小さな枠を超えて、と同時に自分の存在を通して、
自分を越えた「圧倒的なナニモノか」に触れる経験
表現しているのは、いったい、誰の魂なのか、
自分の魂か、作曲者のものなのか。
もしかすると、もっと大きなものなのかもしれない。
それは私が表現しようと意気込むのではなく、もうすでに表現されたがっているものが、作曲家を使ってその音楽を創り、私を使って、今、この瞬間に、音となって紡ぎ出されている。
つまり、芸術とは、
「何が正しくて間違いなのか」という物差しは通用しない命の表現です。
そしてそこでこそ、圧倒的で爆発的な想像力と創造力の源泉に繋がる道があると私は思います。
「正しいか間違っているか」などの基準で測られることなく、人間としての最も深い部分に触れて、そこと繋がりながら生きていく
それこそが、
一人の人間として、成長していく
ということでしょう。
終わりに
学校の日常生活に、音楽や演劇と言った芸術活動を組み込んでいるドイツ、イギリスの教育。
プライベートなレッスンとは違って、学校では時間的な制約があるため、どこまで深いレッスンができるのかはそれぞれの状況に応じて変わって来るでしょうが、掲げている理念は素晴らしいものがあると思います。
さて私たちの住むここ日本では、、、
良い点数を取り偏差値の高い学校に行くために、人間としての最も深い部分をないがしろにして育っていく子ども達、知識を詰め込むだけのいびつな教育にさらされて、時間に追われて育ってきた、そして今も追われ続ける大人のみなさんに、
私はどのようなピアノとアレクサンダーテクニックのレッスンを提供できるのか?と、もう一度、自身に問うきっかけとなりました。
